自己投資のつもりが自己投資になっていなかった件

ども、

 

おもちゃメッセンジャーのたっちゃんこと

 

佐藤達矢です。

 

 

 

自分は

 

「おもちゃを通して何かしていこう!」

 

と思う前に

 

いわゆる自己投資をしてきたのね。

 

 

 

それは時には

 

本を買って読んでみたり

 

いろんな人のブログを見てみたり

 

すごいなーと思う動画を何度も見たり

 

とにかく人に会いまくったり

 

何十万もする情報教材を買ってみたり

 

とにかくいろいろしてみたのよ。

 

 

 

んでね、

 

そこで分かったことなんだけど

 

これらをしていったところで

 

「知識や見てくれの人脈は増えていくけど

 

実際に使えるものは大して増えない」

 

んだよね。

 

 

 

全てが無駄だったとは思わないよ?

 

実際に成果の出たものだってたくさんあるし、

 

それぞれ今の自分を形成しているわけだから

 

いろんな影響を与えてくれている。

 

 

 

けどそれをしている当時の自分は

 

そのお金と時間に見合った価値を受け取っていたか

 

と言ったらそんなことなかったのね。

 

 

 

じゃあ何でそれらに価値がなかったのか。

 

 

 

いやいや、

 

そもそも

 

『そのものに価値があったかどうか』

 

という視点が違ったんだよね。

 

 

 

世の中に存在していて

 

求めている人がいて

 

ちゃんと価値を感じている人が

 

一人でもいる限り

 

そのものには価値があるんだよ。

 

※本気の詐欺とかもあるから気をつけなきゃだけど

 

それですら価値に変えることは可能

 

 

 

でも当時の自分は

 

「お金さえ払えば」

 

「時間さえかければ」

 

「とにかく人に会いまくれば」

 

何かしらの結果が出る

 

と思ってたの。

 

 

 

でもね、

 

価値への変換が全くできなかったんよ。

 

 

 

じゃあなんでその価値に

 

変換することができなかったのか。

 

 

 

結局ね、

 

そのものの価値を感じられなかったのって

 

自分自身がそれを価値に変えようとしていなかったから

 

なんだよ。

 

 

 

何かからメッセージを受け取る場合、

 

そのものが持っている価値というのは

 

ただの『原価(材料費とか)』

 

になってしまう。

 

 

 

もっと言えば、

 

『原価』ですら人が関わっていなければ0のはず。

 

※全ての物の始まりは自然から始まっている時点で

 

お金はかかってないと思ってるから

 

 

 

じゃあそのものの価値って何かというと

 

提供する側が用意する『もの』

 

よりも

 

受け取る側の『価値を生み出す器』

 

のバランスだと思ったのね。

 

 

 

いくら提供する側が

 

『価値の高いもの』

 

として用意したものでも

 

その価値を受け取る側に

 

『価値を生み出す器』

 

がなければ無意味と化す。

 

 

 

逆に

 

『価値生み出す器』

 

が大きければ

 

どんなものからだって

 

常に最大限の価値を得ることができる。

 

 

 

『愚者は聖書から学び、賢者は石から学ぶ』

 

 

 

一定まで行っちゃえば

 

いつの間にか自分の中にあるものや

 

身の回りにすでに存在しているものから

 

学ぶことができちゃうみたいよ。

 

 

 

あ、ここに至るまでの今までの自己投資は

 

価値に変えられたと思っとります、はい。